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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)7340号 判決

原告 バンク・デ・リンドシン(印度支那銀行)

被告 黒田純 外七名

主文

被告黒田純、同斯波悌一郎、同梅沢萬次郎、同横浜蚕糸株式会社は、各自原告に対して金四六〇万円及びこれに対する昭和二七年一月四日以降支払済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告と被告黒田純、同斯波悌一郎、同梅沢萬次郎、同横浜蚕糸株式会社との間に生じたものは、同被告らの連帯負担とし、原告とその余の被告らとの間に生じたものは、原告の負担とする。

この判決は、主文第一項に限り原告が同項記載の各被告に対して執行金額の五分の一に相当する担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自原告に対して金四六〇万円及びこれに対する昭和二七年一月四日以降支払済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。」との判決並びに仮執行の宣言を求めると申し立て、その請求の原因として、

一  原告は、訴外大成貿易株式会社(以下「大成貿易」という。)の依頼を受けて、昭和二六年一〇月五日、一五日及び二七日の三回に亘り、原告を受取人とした大成貿易振出の約束手形五通金額合計八七一〇万円について、いわゆる貿易手形の割引による融資として大成貿易に対して合計金八六五五万四四四四円を交付したが、右の手形割引は、次のような方法によつて行われた。すなわち、大成貿易は、割引手形となるべき自己振出原告あての約束手形に、大成貿易の生糸輸出取引の相手方訴外インドチヤイナ・トレーデイング・コンパニー(印度支那貿易公司、以下「印支貿易」という。)の依頼にもとづいて外国銀行が発行した信用状を添えるほかに、なお大成貿易並びに印支貿易間の生糸売買取引の確認書、大成貿易とその輸出生糸の仕入先被告横浜蚕糸株式会社(以下「被告会社」という。)との間における生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書を資料書類として原告に提出し、原告は、右約束手形、信用状及び資料書類を日本銀行に提出して、右約束手形が日本銀行の再割引を受けることができる適格手形すなわち貿易手形であることの確認を経由したうえ、さらに大成貿易がその輸出生糸について原告の完全なる留置権を認め、かつ原告の代理人たる資格でもつて生糸の船積等の取扱をなすべきことなどの条項を承認する旨の保証書を大成貿易から徴して手形割引融資金を交付するという手続をとつた。

二  ところが、大成貿易が本件約束手形の割引にさいして、そのつどいわゆる貿易手形の資料書類として添附した生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書は、いずれも被告会社の作成にかかる虚偽文書であつて、被告らは、相共同して貿易手形の割引融資を騙り、手形の割引融資金相当額を詐取した者である。すなわち、大成貿易は、昭和二六年の春いらい生糸等のせん維製品類の相場の見込違から相ついで欠損を招き、莫大な負債に喘いでいたところ、たまたま印支貿易との生糸輸出取引が始まり、いわゆる貿易手形の割引という方法によつて事業運営資金の融資を受ける便宜を得ることになつたが、このような貿易手形となるべき約束手形には、輸出生糸代金の支払が確実であることの確認資料として、すでに印支貿易の依頼にもとづいて外国銀行が発行した信用状並びに大成貿易と印支貿易との間において生糸輸出取引契約ができていることの確認書のほかに、さらに大成貿易が内国のメーカー又は問屋との間に輸出向生糸の売買契約を了え、その代金も完済されていることの確認資料として、生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書をも添えて提出する定となつていたのであるが、約一億円の負債超過に陥つた当時の窮状では、もはやまえもつて輸出向生糸を買い付けておくだけの資金の遣り繰りがつかなかつた。

しかし、大成貿易の代表取締役社長被告黒田純、専務取締役被告斯波俤一郎、常務取締役被告梅沢萬次郎、取締役被告井上富士雄、同坂野八郎、同三井精一、同有吉成彦らは、大成貿易がさながら倒産寸前にある危機において、曲りなりにせよ、貿易手形の割引融資を受けたとしても、はたして信用状所定の輸出生糸の船積をするだけの手当を施し得るかどうかについて、全く成算をもたないありさまにあることを知悉しながら、あえてその事実がないのにかかわらず、あたかもすでに輸出向生糸の買付を了えてあるように仮装した架空内容の生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書等の資料書類を約束手形に添附していわゆる貿易手形の割引融資金を原告から詐取しようと共に謀つたうえ、その実行行為は、主として被告斯波及び同梅沢が中心となり、これに大成貿易の営業第三課長土肥耕三、経理課長中島喜太郎、横浜分室長須原健治並びに被告会社常務取締役久保田芳勝らが加担して、これを推し進めるにいたつた。そこで、須原が被告斯波及び同梅沢の命にしたがい久保田に対してその情を明らかに告げ、被告会社の加担を願い出たところ、久保田は、大成貿易において貿易手形の割引融資の資料書類として使用するものであることの情を知りながら、その職務権限にもとづいて被告会社の作成にかかる架空内容の生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書を須原に交付し、また、土肥及び中島らは、被告斯波の命ずるところに従い、貿易手形となるべき大成貿易振出原告あての約束手形に信用状及び右虚偽内容の資料書類等を一括添附したうえ、原告銀行員満田忠生及び佐藤信二に対して右添附資料書類の記載内容のとおりすでに大成貿易が被告会社から輸出向生糸を買い付けてその代金も支払つてあるように装つて右約束手形のいわゆる貿易手形としての割引を求め、そのように満田及び佐藤をして錯誤に陥らしめ、よつて同人らを通じて原告から本件約束手形の割引融資金名下に金員の交付を受けてこれを詐取したが、土肥、中島及び須原は、もとより被告らの手足の如き機関たるものとしてそれぞれ実行行為を分担した。このように、被告らは、相共同(すくなくとも幇助)して貿易手形の割引融資金合計八六五五万四四四四円を原告から詐取し、よつて原告に対して本件約束手形金額合計八七一〇万円相当の損害をあたえたところ、原告は、被告らの右共同不法行為にもとづく損害賠償として、被告らが原告に対し連帯して右損害のうち金四六〇万円及びこれに対する右損害発生時の後である昭和二七年一月四日以降支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

三  かりに、本件詐欺について被告らが関連共同したという右主張が理由のないものであるとしても、すでに述べたところによれば、

1  大成貿易の経理課長中島喜太郎の原告に対する不法行為の成立すべきこと、右不法行為が大成貿易の事業の執行につきなされたものであること及び中島が大成貿易の被用者であること明らかであるところ、被告会社以外の被告らは、右中島の使用者である大成貿易のいわゆる代理監督者たる役職にある取締役というべきであるから、各自原告に対して前記損害賠償の責に任ずべきである(同被告らに対する予備的請求原因その一)。

2  同被告らは、大成貿易の取締役としてその職務を行うについて悪意又は重大な過失により原告に対して右損害を加えた者であるというべきであるから、右損害賠償につき連帯責任を負うべきである(同被告らに対する予備的請求原因その二)。

3  被告会社の被用者たる久保田芳勝は、被告会社以外の被告らと共同加功して(すくなくとも過失による幇助をして)、本件詐欺による原告の前記損害を発生せしめたのであるが、右は、被告会社と大成貿易との平常の取引関係の重要性、将来における便宜などを顧慮して、被告会社の通常の業務過程におけると同様の外観を具えた行為として自己の職務を遂行した結果にほかならず、被告会社の事業の執行についてなされたものというべきであるから、被告会社は、久保田の使用者として、久保田及び大成貿易の取締役たる被告斯波らの共同不法行為にもとづく損害賠償の責に任すべきである(被告会社に対する予備的請求原因)。

と述べ、被告会社の主張に対し、「同被告が使用者として久保田の選任監督について相当の注意をしたこと、久保田の本件不法行為が同被告においていかに選任監督につき注意をしてもなおその発生を阻止することのできないようなものであることは否認する。」と述べた。

被告ら各訴訟代理人は、それぞれ「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、被告斯波、梅沢及び井上訴訟代理人において「原告主張事実中請求原因第一項並びに被告斯波、梅沢及び井上がそれぞれ大成貿易の専務取締役、常務取締役及び取締役の職にあつたことは認めるが、同被告らが共謀して原告主張の如き詐欺行為に共同加功したことは否認する。その余の事実は不知。」と述べ、被告黒田及び坂野訴訟代理人において「原告主張事実中請求原因第一項並びに被告黒田及び坂野がそれぞれ大成貿易の代表取締役社長及び取締役であつたことは認めるが、同被告らが共謀して原告主張どおりの詐欺に関連共同したことは認めない。その余の事実は不知である。被告黒田は、大成貿易の業務が被告斯波を中心として運営遂行されるようになつていらい、主たることは相談を受けることになつていたが、通常被告斯波において専決し、たゞその事後報告を受けるにすぎなかつたところ、昭和二六年四月頃から十二指腸潰瘍によりしばしば休暇をとつて会社に出勤せず、同年八月頃には殆んど欠勤し、ついに同年九月一六日から一〇月一五日まで手術施療のため入院していたので、その間大成貿易の一切の業務執行に関与することができず、全く知らないうちに大成貿易が営業停止の状態に立ち至つたが、同年一〇月二八日頃に及んで被告斯波らの報告にもとづいてはじめて本件約束手形の割引のいきさつを知つた。また、被告坂野は、大成貿易の内需向営業担当重役として内需向売買面の経理をも担当することと定められたが、右経理業務については、実質上被告斯波及びその下における中島経理課長が掌握していたので、単に事後的に報告を整理するにとどまつた。」と述べ、被告有吉訴訟代理人において「原告主張事実中被告有吉が大成貿易の取締役に就任したことは認めるが、同被告が他の被告らと共謀して原告主張のような詐欺に共同加功した点は否認し、その余の事実は不知である。被告有吉は、大成貿易の貿易部門を担当する取締役であつたが、昭和二五年三月肺結核療養のため土肥耕三と交替し、いらい何らの担当職務もなく、他方大成貿易からの報告等に接することもないままに終つた。」と述べ、被告三井訴訟代理人において「原告主張事実中被告三井が大成貿易の取締役であつたことは認めるが、同被告が他の被告らと共謀して原告主張の如き詐欺行為に関連共同したことは否認し、その余の事実は不知である。被告三井は、大成貿易の横浜支店勤務で終始し、本社における業務執行については、いつさい無関係であつたので、本件約束手形の割引融資のことを知るよしもなかつた。」と述べ、被告会社訴訟代理人において「原告主張事実中被告会社の久保田芳勝が大成貿易の懇請に従い、原告主張どおりの生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書を作成して交付したことは認めるが、久保田が大成貿易の須原健治からその情を明かされて依頼を受けたこと、被告会社又は被告会社の被用者たる久保田らが原告主張の如き詐欺行為に共同加功したこと、久保田が大成貿易に対して前示生糸売買約定書等の書類を作成交付したことが被告会社の通常の業務過程における行為であつて、被告会社の事業の執行につきなされたものであることは、いずれも否認し、その余の事実は不知である。かりに、久保田の所為について原告主張どおりの不法行為が成立するとしても、被告会社は、久保田の選任監督について相当の注意をしたし、また右不法行為は、いかに選任監督上の注意をつくしてもなおその発生を阻止しえないようなものであるので、使用者としての責に任ずべき限りではない。」と述べた。

証拠として、原告訴訟代理人において甲第一号証の一から七まで、第二号証の一から五までの各一、二、第二号証の六、七、第三号証の一から七まで、第四号証の一、二の各一から三まで、第四号証の三の一から七まで、第四号証の四、五の各一から三まで、第四号証の六、七、第五号証の一の一から三まで、第五号証の二の一から六まで、第五号証の三から五までの各一から四まで、第五号証の六、七、第六号証から第一〇号証まで、第一一号証の一、二、第一二号証の一から三まで、第一三号証の一から二〇まで、第一四号証から第二一号証まで、第二二号証の一から五まで(たゞし、同第二一号証と第二二号証の一から五までとは、それぞれ同第二〇号証記載中「第一三回公判期日において提出の昭和二六年一二月三日附被告人作成の不正手段により手形割引を受けた金額の使途明細表と題する書面」と「第一三回公判期日において提出の昭和二六年一二月四日附被告作成の損益一覧表と題する書面」とに該当するものとして提出)を提出し、証人満田忠生、佐藤信二の各証言を援用し、乙号証の各成立を認め、丙第一号証の成立は不知と述べ、被告斯波、梅沢及び井上訴訟代理人において乙第一号証から第六号証まで、第八号証、第九号証(同第七号証は欠番)を提出し、証人満田忠生、須原健治、土肥耕三、中島喜太郎の各証言並びに被告斯波、井上の各本人訊問の結果を援用し、甲第一号証の一、二、六、七、第二号証の一、二の各一、二、第二号証の六、七、第三号証の一、二、六、七、第四号証の一、二の各一から三まで、第四号証の六、七、第五号証の一の一から三まで、第五号証の二の一から六まで、第五号証の六、七、第六号証から第一〇号証まで、第一一号証の一、二、第一二号証の一から三まで、第一三号証の一から二〇まで、第一四号証から第二〇号証までの各成立を認め、その余の甲号各証の成立は不知と述べ、被告黒田及び坂野訴訟代理人において丙第一号証を提出し、証人宮崎博の証言並びに被告黒田、坂野の各本人訊問の結果を援用し、甲第六号証から第一〇号証まで、第一一号証の一、二、第一二号証の一から三まで、第一四号証から第二〇号証までの各成立を認め、その余の甲号各証の成立は不知と述べ、被告有吉、三井の各訴訟代理人において証人宮崎博の証言並びに被告有吉、三井の各本人訊問の結果を援用し、甲号証の成立について右同認否をし(たゞし、同第二一号証、第二二号証の一から五までの成立について、被告有吉は認否をしなかつた。)、なお同第一二号証の三、第一三号証の一から一六まで(たゞし、五、一〇、一三、一四を除く。)第一四号証、第二〇号証は、被告三井のために援用すると述べ、被告会社訴訟代理人において証人刈込喜美子、三田村準一の各証言を援用し、甲第六号証から第一〇号証まで、第一一号証の一、二、第一二号証の一から三まで、第一三号証の一から二〇まで、第一四号証から第二〇号証までの成立を認め、同第一号証の三、四、第二号証の三から五までの各一、二、第三号証の三から五まで、第四号証の三の一から七まで、第四号証の四の一から三まで、第四号証の五の一から三まで、第五号証の三から五までの各一から四までの成立を否認し、その余の甲号証の成立について不知と述べた。

理由

原告と被告斯波、梅沢及び井上との間において成立につき争がないことにより他の被告らとの関係においても真正に成立したと認める甲第一号証の一、二、六、七、第二号証の一、二の各一、二、第二号証の六、七、第三号証の一、二、六、七、第四号証の一、二の各一から三まで、第四号証の六、七、第五号証の一の一から三まで、第五号証の二の一から六まで、第五号証の六、七、後記認定のとおり真正に成立した甲第一号証の三から五まで、第二号証の三から五までの各一、二、第三号証の三から五まで、第四号証の三の一から七まで、第四号証の四、五の各一から三まで、第五号証の三から五までの各一から四まで、成立に争のない甲第二〇号証、乙第四号証、第八号証の各記載、証人満田忠生、中島喜太郎の各証言をあわせると、大成貿易は、印支貿易との間に生糸輸出取引を開き、印支貿易の紹介により原告からいわゆる貿易手形の割引による融資を受けることになつたが、昭和二六年一〇月三日頃(一)金額二二三〇万円及び(二)金額四六〇万円、満期各同年一一月二日とした約束手形各一通(甲第一号証及び第二号証の各六)、同年一〇月一一日頃(三)金額一一二〇万円及び(四)金額二二五〇万円、満期各同年一一月九日及び同月一〇日とした約束手形各一通(甲第三号証及び第四号証の各六)、同年一〇月二二日(五)金額二六五〇万円、満期同年一一月二〇日とした約束手形一通(甲第五号証の六)を原告あてに振り出し、右手形の割引融資金として原告から同年一〇月五日右(一)及び(二)の手形につき各二二一五万七七二六円及び四五七万〇六五二円、同年一〇月一五日右(三)及び(四)の手形につき各一一一一万一二九六円及び二二三六万六三五〇円、同年一〇月二七日右(五)の手形につき二六三四万八四二〇円の交付を受けたところ、右手形割引については、日本銀行の定めるところに従い、あらかじめ貿易手形となるべき約束手形には、外国銀行が印支貿易の依頼にもとづいて発行した信用状のほか、印支貿易が大成貿易から生糸の買付を了していることの確認資料たる買付確認書並びに大成貿易が内国メーカー又は問屋との間に輸出向生糸の仕入契約を了え、かつ仕入代金を完済していることを確認し得る資料として、輸出向生糸についての売買約定書、代金仕切書及び代金領収書を一括添附して提出することを必要としていたので、右(一)及び(二)の手形には甲第一号証の一、第二号証の一の一、二(信用状三通)、第一号証の二、第二号証の二の一、二(買付確認書三通)、第一号証の三、第二号証の三の一、二(生糸売買約定書三通)、第一号証の四、第二号証の四の一、二(代金仕切書三通)、第一号証の五、第二号証の五の一、二(代金領収書三通)、右(三)及び(四)の手形には甲第三号証の一、第四号証の一の一から三まで(信用状四通)、第三号証の二、第四号証の二の一から三まで(買付確認書四通)、第三号証の三、第四号証の三の一から七まで(生糸売買約定書八通)、第三号証の四、第四号証の四の一から三まで(代金仕切書四通)、第三号証の五、第四号証の五の一から三まで(代金領収書四通)、右(五)の手形には甲第五号証の一の一から三まで(信用状三通)、第五号証の二の一から六まで(買付確認書六通)、第五号証の三の一から四まで(生糸売買約定書四通)、第五号証の四の一から四まで(代金仕切書四通)、第五号証の五の一から四まで(代金領収書四通)が添附され、ついで原告は、右約束手形及び添附書類を日本銀行に提出し、同年一〇月三日右(一)及び(二)の手形について、同月一二日右(三)及び(四)の手形について、同月二五日右(五)の手形について日本銀行の再割引を受けることができる適格手形すなわち貿易手形たることの確認を各経由し、さらに大成貿易が右約束手形金をば添附書類に記載された輸出向生糸の原告に対する売渡代金として受領したうえは、原告の代理人たる資格において右生糸の船積等を取り扱うべきことなどの条項を承認する旨の保証書(甲第一号証から第五号証までの各七)を徴したうえ、右貿易手形の取得と引換にその割引融資金を交付するという手続がとられたことが認められる。

ところが、右添附書類のうち被告会社の作成にかかる三種の資料書類すなわち生糸売買約定書一五通(甲第一号証の三、第二号証の三の一、二、第三号証の三、第四号証の三の一から七まで、第五号証の三の一から四まで)、代金仕切書一一通(甲第一号証の四、第二号証の四の一、二、第三号証の四、第四号証の四の一から三まで、第五号証の四の一から四まで)及び代金領収書一一通(甲第一号証の五、第二号証の五の一、二、第三号証の五、第四号証の五の一から三まで、第五号証の五の一から四まで)は、いずれも架空内容の虚偽文書であることが成立に争のない甲第一〇号証、第一三号証の一七の各記載及び証人中島の証言により認められ、同証言によれば、大成貿易の経理課長である中島喜太郎は、その職務上印支貿易の生糸の買付及びその代金支払の事実がないのにかかわらずあるように虚構の事実を記載したものであることを知りながら、右三種の資料書類を真正の内容を有するもののように装うて原告銀行員満田忠生、佐藤信二らに提出したことを認めることができ、証人満田、佐藤信二の各証言によると、右満田及び佐藤は、前記三種の資料書類がことごとく真正の内容を有するものと信じてそのように事務処理を計つたことが認められるから、大成貿易の中島経理課長は、本件約束手形の割引においてともにその事務処理の衝に当つていた相手方原告銀行員満田及び佐藤らをして右資料書類が真正の内容を有するもののように錯誤に陥らしめるという詐欺を行つた者であるというべきである。成立に争のない甲第二〇号証(詐欺被告事件被告人中島喜太郎供述調書)中「貿易手形の割引のために手形に添附する書類は形式だからと原告銀行からいわれたので、このことから架空内容の書類を添附する暗示を受けた。」旨の記載部分並びに「右資料書類がまつたく形式的なものにすぎず、真実存しないことを記載したものであることは、右満田及び佐藤らにおいても、はじめから知つていたと思われる。」の旨の証人中島の供述部分は、証人満田及び佐藤の証言内容と対比してにわかに措信できない。また、証人中島の証言によれば、およそ真正の内容を有する生糸代金仕切書にあつては、必ず「検査証月日番号」所定欄の記載が充たされなければならないことになつていることが認められるので、本件約束手形に添附された前記三種の資料書類のうち各生糸代金仕切書の右記載事項が空白となつていること(このことは、前記甲第一号証の四、第二号証の四の一、二、第三号証の四、第四号証の四の一から三まで、第五号証の四の一から四までの各書証自体にてらして明らかである。)から、右満田及び佐藤の事務処理における書類審査上の粗漏が指摘されてしかるべきところのようであるが、生糸取引業にたずさわつている者の著眼点としてはともかく、一般貿易手形の割引事務を取り扱う銀行員たるにすぎない右満田及び佐藤において右記載事項の空白を看過したことは、これをもつて本件約束手形の割引の事務処理上の粗漏であるとしてとくに指摘するには及ばないものと解するのが相当である。

そこで、本件詐欺と約束手形の割引融資との因果関係について考察を進める。本件約束手形の割引は、いわゆる貿易手形となるべき約束手形に信用状、買付確認書、生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び領収書を添附することを必要とする定に従つて行われたことは、さきに述べたとおりであるが、右定は、日本銀行が輸出振興上輸出業者の輸出商品買付資金調達の円滑を図る目的のもとに、市中銀行が右資金融通のため割引いた輸出業者振出の約束手形について、中央銀行としてとくに有利な処遇をもつて再割引をあたえるにあたつて右約束手形の適格性を認定するための一つの合目的的かつ技術的な定であつて、輸出業者及び市中銀行において共に遵守すべきことを要請した準縄にほかならないものであることが成立に争のない甲第一七号証の記載により認められる。しかし、成立に争のない甲第一九号証の記載、証人土肥耕三、中島の各証言並びに被告斯波の本人供述をあわせると、大成貿易専務取締役被告斯波、営業第三課長土肥耕三及び中島経理課長らにおいては、貿易手形制度運用の実情として、本件約束手形の添附書類のうち前示三種の資料書類は手形割引の決定的要件をなさず、単に再割引を受けるための形式的要件にすぎず、たとえ右資料書類が架空内容のものであつても別段意に介されることなき慣行が存在し、したがつて右資料書類の内容の真正、不真正を度外視してもつぱら信用状の存在及び貿易手形の割引を求める大成貿易の商社の信用度如何を重要視して本件約束手形の割引融資が行われたもののように思いなしていることがうかがわれ、またそうした実情の観方をする向がないでもないことが成立に争のない甲第一五号証、乙第一号証、第九号証の各記載により認められるけれども、証人満田及び佐藤の証言によると、大成貿易の商社としての信用度といえども、原告において大成貿易が本件約束手形の添附書類として信用状及び印支貿易の生糸買付確認書のほかに提出した前記三種の資料書類の内容の真正、不真正を実質的に検討することなく、ただ形式的審査にとどめてその内容の真正を信じるほかなかつたという程度のきわめて一般的かつ常識的評価にすぎないものであることを認めることができ、右資料書類の内容の真正如何が別段意に介されることのないような慣行は、これを認め得るに足る証拠がないし、かりに、そのような慣行があつたとしても、とうていこの慣行をもつて取引界の通念上当然のことと肯認すべき限りでないと解するのを相当とするから、貿易手形制度について、まえにいうような観念の仕方は、適確な理解を示すものでもなく、またこの制度適用の運用の実情を正当に評価したものでもないといわなければならない。かえつて成立に争のない乙第二号証、第三号証、前記甲第一七号証の各記載に証人満田及び佐藤の証言をあわせると、本件約束手形の割引融資における信用状の存在とて、大成貿易が信用状発行銀行の信用を利用し、為替取引の手段によつて容易に輸出生糸の代金を回収し得ることを意味するものにすぎないものであつて、大成貿易が期日までに輸出向生糸の船積を了え、為替手形に船荷証券、保険証書等を添えて為替手形買取の準備を整えない限り、金銭支払を委託(本質においていわゆる指図である。)することを本体とする信用状が何らの金銭的価値を有しないものとなるから、輸出向生糸の現実の船積を確実に担保づけるものとして、信用状以外に別段の物的または人的担保の提供を要すべきところであるが、輸出振興という目的達成上輸出商品の買入に莫大な資金を必要とする内国輸出業者の資金調達を容易かつ円滑ならしめようとする貿易手形制度の建前から、やむなく生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び代金領収書の提出だけをもつて満足しているのであるから、信用状及び生糸買付確認書のほか、輸出の確実な実行を確認せしめる右三種の資料書類は、本件約束手形の不払の万万なきを担保する最低の条件として物的ないし人的担保にも比肩すべき重要な資料書類として取り扱われていたことを認めることができ、かつ、さきに認定したように、大成貿易は、本件約束手形金をば当該約束手形に添附された右三種の資料書類に記載された輸出向生糸の原告に対する売渡代金として受領したるうえは、原告の代理人として右生糸の船積等を取り扱うべきことなどの条項を承認する旨の保証書を差し入れて本件約束手形の割引融資金を取得したのであるから、原告は、すでに大成貿易が買付及びその代金の支払を完了してあるところの輸出生糸を引当にして、本件約束手形の割引融資を行うことにその意思があつたことはきわめて明らかである。したがつて、もし本件約束手形に添附すべき資料書類の一つでもこれを欠き、または添附された資料書類の一つでもその作成名義を偽わり、もしくは内容虚偽のものがあることが判明した場合には、とうてい原告においてその約束手形の割引融資に応じなかつたはずであることもいうをまたないから、本件詐欺と約束手形の割引融資との間にはそれぞれ因果関係があるといわなければならない。

そうして、前記甲第一号証から第五号証までの各六、乙第八号証の各記載並びに証人満田、中島の各証言によると、原告は、昭和二六年一〇月九日本件(一)及び(二)の約束手形を、同月一七日本件(三)及び(四)の約束手形を、同月二九日本件(五)の約束手形を日本銀行に裏書譲渡してその再割引を受け、いらい大成貿易が右約束手形添附の信用状の所定の条件にしたがい輸出生糸の船積を了え、為替手形に船荷証券等を添えて原告に交付し、為替手形の買取の形式によつて当然に右約束手形の決済をとげるべきことを期待していたのであるが、同年一一月一日頃はじめて大成貿易の前記詐欺によつて本件約束手形の各割引融資が行われた事実が判明し、これと時を同じうして大成貿易がいわゆる支払不能に陥り、右約束手形の不渡が相ついで生じたので、貿易手形の性質上原告において右不渡手形の買戻をすることとなり、同年一一月二日頃右(一)及び(二)の手形金額合計二六九〇万円、同月九日頃右(三)及び(四)の手形金額合計三三七〇万円、同月二〇日頃右(五)の手形金額二六五〇万円と同額の出捐をよぎなくされたことを認めることができるから、原告は、大成貿易の本件詐欺によつて、右手形買戻時にその手形金額相当の損害(合計金八七一〇万円)をこうむつたというべきである。

ひるがえつて、本件詐欺行為の主体についてさらに考察するに、成立に争のない甲第一三号証の八、一一、一五、一八の各記載によれば、大成貿易においては生糸取引が現物売買だけで行われるようになつてから、ようやく生糸の買付資金に払底をきたし、したがつて貿易手形に添附すべき生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び領収書の整備に腐心していたところ、昭和二六年六月頃大成貿易の専務取締役被告斯波、常務取締役被告梅沢は、窮余の一策を案じて、従前の取引量において抜群の仕入先である被告会社に依頼して架空の事実を記載内容とする生糸売買約定書、生糸代金仕切書及び領収書の作成交付を受けることを相謀り、被告梅沢において右三種の資料書類を整備し、被告斯波において貿易手形となるべき大成貿易振出の約束手形に右三種の資料書類及びその他の必要書類を一括添附して取引銀行からいわゆる貿易手形の割引融資を受ける実行行為をそれぞれ分担したこと、そこで、被告梅沢は、大成貿易の横浜分室長たる須原健治にいいつけ、同人において被告会社の常務取締役である久保田芳勝に依頼し、右三種の資料書類の作成交付を受けるについて右久保田の協力を得て、同年六月頃から同年一〇月中にいたるまで本社からの指示あり次第右指示にそう架空の事実を記載した被告会社作成にかかる右三種の資料書類を入手して本社に送付し、被告斯波は、中島経理課長に命じ、同人において専務取締役被告斯波名義をもつてした大成貿易振出の約束手形に信用状、買付確認書及び右三種の資料書類等を一括添附して取引銀行に提出していたのであるが、そのうち同年一〇月頃被告会社の作成交付にかかる右三種の資料書類が本件(一)から(五)までの約束手形にそれぞれ添附使用されて、本件詐欺行為が遂行されるにいたつたことが認められ、成立に争のない甲第一三号証の九、第一四号証の各記載中右認定に反する部分は、この認定に資した前記証拠資料にてらして信用しがたいところであり、ほかに反対の証拠はない。また、成立に争のない甲第六号証から第一〇号証まで、第一三号証の一〇、一七の各記載並びに証人刈込喜美子、須原健治の各証言をあわせると、被告会社は、生糸問屋として生糸の委託販売及び仲買取引を主たる営業にしているが、その業務執行について生糸売買約定書及び生糸代金仕切書を作成する事務は、常務取締役にして営業部門を担当している久保田芳勝、富山謙一らの各職務権限にぞくし、生糸代金領収書の作成事務は、経理担当取締役たる三田村準一の職務権限にぞくするところ、右久保田は、昭和二六年六月頃大成貿易の横浜分室長である須原健治の懇請もだしがたく、右富山及び取締役会長新井淑と相談したうえ、右懇請に応じて、大成貿易の事業運営資金の操作上何らかの役割をはたす資料書類に供されるものであることの情を知りながら、被告会社の名において大成貿易のために虚偽文書である前記三種の資料書類を作成して交付することとなつたので、その下における事務員川島(いまの刈込)喜美子をして真実被告会社が大成貿易に対し生糸を売りつけたことがないのにかかわらずあるように虚構の事実を記載した生糸売買約定書及びその代金仕切書を作らせ、また、右三田村は、架空の事実を記載した生糸代金領収書であることを知悉しながら、右川島をしてこれに被告会社の領収印を押捺せしめて、いらい同年一〇月頃にいたるまで一連の虚偽文書である前記三種の資料書類の作成交付が反覆累行されたこと、このようにして作成交付されたもののうち、生糸売買約定書一五通(甲第一号証の三、第二号証の三の一、二、第三号証の三、第四号証の三の一から七まで、第五号証の三の一から四まで)、生糸代金仕切書一一通(甲第一号証の四、第二号証の四の一、二、第三号証の四、第四号証の四の一から三まで、第五号証の四の一から四まで)、領収書一一通(甲第一号証の五、第二号証の五の一、二、第三号証の五、第四号証の五の一から三まで、第五号証の五の一から四まで)が一連の資料書類をなして本件約束手形の割引融資のために使用されたことが認められ、(したがつて、右甲号各証はいずれも真正に成立したものといわなければならない。)成立に争のない甲第一一号証の二の記載及び証人三田村準一の証言中右認定に抵触する部分は、右認定の証拠資料にてらしてとうてい信用することができない。ところで、証人宮崎博の証言並びに被告坂野の本人訊問の結果によると、大成貿易において、被告黒田は代表取締役社長の職に就いてその代表機関となり、被告斯波は専務取締役として社長を補佐代行し、とくに経理課及び営業第三課に属する経理及び貿易業務については、殆んど最高責任者たるの実権を掌握する地位に在り、常務取締役である被告梅沢は、被告井上とともに営業第一課及び第二課所属の業務を担当するかたわら営業第三課の貿易業務について被告斯波を補佐し、被告坂野は人絹紡績関係の内地向商品の仕入業務及び経理事務の一部を担当し、被告有吉は総務を担当し、被告三井は横浜支店の主任者となつて、それぞれ常勤を建前とする業務担当取締役として本件約束手形の割引融資当時在職していたことが認められるけれども、いわゆる貿易手形の割引融資に関する業務については、もつぱら被告斯波、梅沢の両名が担当し、その下部機構たる中島経理課長、土肥営業第三課長、須原横浜分室長によつて企画実施される実情にあつたことが前記甲第一三号証の一一の記載、被告坂野の本人供述により認められるのに対し、被告黒田、井上、坂野、有吉及び三井の各自の行為が本件約束手形の割引融資につき関連共同したことは、本件の全証拠をもつてするも、いまだこれを認めるに足りない。

そうすると、被告斯波及び梅沢は、中島経理課長らと相共同して本件詐欺を行つた者であるというべく、被告会社は、前記三種の資料書類の作成交付によつて被告斯波らの右詐欺を幇助した者であると解するのが相当であるから、同被告ら三名は、原告に対し、連帯して原告のこうむつた前記損害を賠償する責に任ずべきである。しかし、被告黒田、井上、坂野、有吉及び三井が本件詐欺行為に関連共同したという原告の主張は理由がないので採用できない。

ついで、原告の予備的主張その一について判断する。被告斯波らの右共同不法行為は、これを大成貿易の経理課長である中島についてみれば、同時に中島個人の不法行為としても成立し、かつこの不法行為は大成貿易の被用者たる中島が大成貿易の事業の執行につきなされたものというべきであること、及び被告黒田が右不法行為当時大成貿易の代表取締役社長という役職に就いていたことは、すでに説示したところにより明らかである。したがつて、被告黒田は、大成貿易のいわゆる代理監督者として右中島の不法行為についてその賠償義務を負う者であるといわなければならない。もつとも、被告黒田の本人供述及びこれにより真正に成立したと認める丙第一号証によると、被告黒田は、大成貿易においては、一おう常勤のたてまえでありなから、東京繊維工業株式会社取締役として同社にも常勤する立場にあつたので、大成貿易への出勤は週三日位を出でず、これに応じてその職務を専務取締役被告斯波に代行補佐させていたのであるが、昭和二六年九月一六日から同年一〇月一五日まで十二指腸潰瘍治療のため入院し、この入院期間及びその前後の頃いつさい出社を控えていたことが認められるけれども、被告斯波、黒田の各本人訊問の結果によれば、右の欠勤期間中といえども、被告斯波からの業務報告に接したりなどして貿易手形の割引という方法で大成貿易の事業運営資金を融通する途を講じるほかないことをも承知していたので、当時被告斯波を通じてなお中島経理課長を指揮監督することができる情勢にあつたことが認められるから、被告黒田の右監督上の責任は、被告斯波において被告黒田の代表取締役職務を補佐し代行したことによつて左右されるものでないというべきである。また、被告坂野が大成貿易の経理担当取締役であつたことは、すでに指摘したとおりであるが、成立に争のない甲第一八号証、証人宮崎、中島の各証言並びに被告黒田、坂野の各本人訊問の結果によると、被告坂野は、名目上の経理担当重役にとどまり、この業務についても実質上の担当取締役として釆配を振つていた被告斯波の下においてただ一部の経理事務の処理報告をつかさどる程度にすぎなかつたので、事実上中島経理課長を指揮監督する立場にいなかつたことを認めることができ、被告井上、有吉及び三井も、前記担当職務内容にてらして、いずれもその職務上右中島を指揮監督する余地はないものというべく、同被告らにおいて事実上右指揮監督をはたしていた事実をうかがうに足りる証拠もない。したがつて、被告井上、坂野、有吉及び三井に対する原告の予備的主張その一は理由がない。

さらに進んで、被告井上、坂野、有吉及び三井に対する原告の予備的主張その二について考察するに、証人土肥の証言並びに被告斯波の本人供述によると、大成貿易においては、とくに取締役会という名のもとに会議の招集手続をとることはしなかつたが、しかし、取締役は、各自業務を分担して常勤する建前であつたので、毎週のように重役室に会合し、必要に応じて横浜支店の主任者たる取締役被告三井をも加えて、大成貿易の業務執行について相談しあうことにしていたことが認められ、成立に争のない甲第二〇号証(公判調書)の記載並びにこれにより真正に成立したと認める甲第二一号証、第二二号証の一から五までに証人土肥の証言をあわせると、大成貿易は、その営業実績において、清算取引上の欠損を除いて昭和二六年五月約五三〇〇万円、同年七月約一三〇〇万円、同年八月約一四〇〇万円、同年九月約五六〇〇万円の各差引損失額を計上し、金融面においては、市中銀行に対する多額の商業手形決済に迫られ、重大な危局に直面していたところ、たまたま印支貿易との生糸取引を機に貿易手形の割引融資を得る方途が拓かれるにいたつたことを認めることができるので、いわゆる貿易手形の割引によつて大成貿易の逼迫した融資面を打開することが当時の最大の懸案であつたことは、すくなくとも取締役たる被告井上、坂野、有吉及び三井らのひとしく知悉することがあつたとみるのが順当である(被告井上、坂野、三井の各本人供述中この認定にそわない部分は信用できない。)が、しかし、右懸案事をいかなる方法手段によつて実践するかについて同被告らが具体的な認識をもちうるほどに取締役の会合で議せられた形跡をうかがうに足りる証拠がないから、本件詐欺について同被告らの共同の認識ないし通謀があつたというわけにいかないし、したがつて同被告らが本件詐欺の企図及び実現をその行為当時において知らなかつたことにつき大成貿易の取締役たる者の忠実義務を怠つたというそしりを免れないとしても、まえにいうように、本件約束手形の割引融資が、大成貿易の職務分担制度の在り方に即して、被告斯波及び梅沢の指揮下中島、土肥及び須原らの担当事務として処理され、ただの取締役たる被告井上、坂野、有吉及び三井が右職制を逸脱してまで被告斯波及び梅沢の各専務取締役及び常務取締役の担当職務に容喙する余地はないとみるほかはないのであるから、被告井上、坂野、有吉及び三井の右忠実義務怠慢は、いまだこれをもつて商法第二六六条の三に規定する「悪意又は重大な過失」にはあたらないものと解するのを相当とする。したがつて、原告の右主張もまた採用しがたい。

以上説示したところにより、原告の本訴請求は、被告斯波、梅沢及び会社が共同不法行為の損害賠償責任にもとづき連帯して、被告黒田がいわゆる代理監督者の損害賠償義務にもとづいて、それぞれ原告に対し、本件損害金八七一〇万円のうち四六〇万円及びこれに対する右損害発生時の後である昭和二七年一月四日以降支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきことを求める部分を正当として認容し、その余の被告らに対する請求を全部失当として棄却し、訴訟費用中原告と被告斯波、梅沢及び会社との間に民事訴訟法第八九条、第九三条第一項但書を適用して同被告らの連帯負担とし、原告とその余の被告らの間に各同法第八九条を適用して原告の負担とし、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 花渕精一 中川幹郎 水沢武人)

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